トナリのサイコパス

どこにでもいるヤバイ奴。そうあなたの隣にも―。さて、今宵あなたの下へ訪れるサイコパスは―?

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「おじさんといっしょ」1 マミちゃんは、おじさんに連れられていっちゃった!

 

 

第一章 マミちゃんは、おじさんに連れられていっちゃった!

 

 

ランドセルを担いで学校から帰ってくると、お父さんが、

「マミ、今日はおじさんが迎えにくるから、支度しておいて」と言った。

 

「えっ!?」と私は小さく声を上げた。息が止まりそうになった。

 

そして、「とうとう来たか……」と、絶望的な気持ちになってしまった。

気がつくと、いつの間にか、膝小僧がガクガクと震えはじめていた。

 

おじさんは年の頃いくつくらいだろうか? 

髪には白髪が混じりいつも油で後ろの方へきれいに撫でつけていた。

痩せてもなく太ってもなく、中くらいで、襟の汚れたワイシャツにくたびれた鼠色のスーツを着ていた。 

 

おじさんは、私が幼い時から、ときどき我が家へやってきては、優しく微笑みながら、私の事を眺めるのだ。

 

別に声をかけるでもなく、遊んであげるわけでもなく、ただじっと見つめるだけ。

けれど、その視線がいつしか頭のてっぺんからつま先まで、まるで私をなめるようにして見るので、なんだかいつも居心地が悪くなり、部屋の奥へと隠れているのだった。

 

そしておじさんが帰るまで、父が呼んでも、母が呼んでも、私は押し入れの中でじっと身を潜めていた。

 

そのおじさんが今夜やってくる……。私を迎えに……。

私の頭の中は真っ白になり、さっきから心臓の音だけが大きく聞こえてきた。

 

 

私が知る限り、我が家はいつも貧乏だった。

 

家には顔のよく似た姉妹たちがたくさんいたし、両親はその世話でいつも忙しかった。

 

母は姉たちの顔を整えてやったり、可愛らしいお洋服を着せたりしていたが、父は彼女らのために就職先を探し回るのが常だった。

そう私たちはあまりに数が多かったので、口減らしのために働きに出なければならなかったのだ。

 

そんな中でも私は異色の存在だった。なぜなら、私には生まれる前からすでに引き取り手がいたからだ。それが〝おじさん〟だ。

 

おじさんには子どもがおらず、私が生まれる前から私はおじさんの下へ行くことが決まっていた。

 

おじさんは、私がまだ母の胎内にいる頃から、私のことを「マミちゃん」と呼んでいた。どうして生まれてくるのが女の子だと分かっていたのだろうか。もしかすると男の子が生まれる可能性だってあるかもしれないのに?

 

けれどおじさんの目論みどおり、生まれたのが、私、〝マミちゃん〟だったのだ。

 

おじさんは私が生まれた時に大変喜んで、すぐに家まで飛んできてくれたそうだ。

 

そうしてまだ赤ん坊の私に「マミちゃん、マミちゃん」と言って、頬ずりをしたらしい。まるで我が子のように――とのちに母がそう言っていた。

 

もちろん、その頃の記憶は私にはないが、それでも物心つく頃には、おじさんの存在が私の中でだんだんと大きくなっていた。

 

というのも、私は事あるごとに、「マミはいずれ、おじさんの家へ行くのだから」と両親から厳しく躾けられていたからだ。

 

両親は私をおじさんの好みに仕立てようとした。おじさん好みの女の子に育てることが、まるで自分たちの使命だと言わんばかりに……。

 

だから私は、女の子らしい女の子――つまりは、大人しくて無邪気で、愛らしく――になるべく強要された。

 

髪型だって、ウェーブをかけることはもちろん、黒のストレートでおかっぱなんて、今時誰もやらないダサい髪型を強いられていたのだ。

そうして子どもらしい服? (とおじさんが考えていた) 水色のワンピースや白い開襟シャツに赤のナイロン生地で出来たスカートなどを履かされていた。

 

それらは私にはぶかぶかで――しかも丈の短いスカートから、細い棒切れのような足が、二本ニュウとはみ出しているという感じだったのだけど――おじさんはそれらの古着をどこから手に入れたのか、家へ持ってきては「これをマミちゃんに」と嬉しそうに母に手渡すのだった。

 

その度に私はその服を着て、おじさんの前に出て行かなければならなかった。ちょっとしたファッションショーなのだが、私はそれが死ぬほど嫌いだった。

 

私はそれまでおじさんのことを意識したことがなかった。

おじさんはたまに家へきては、なぜだか私に親切な人、私を可愛がってくれる人、というくらいの認識だった。

 

そんなものだから、私はおじさんからのプレゼントを着ても、母のエプロンの裾を掴んではその陰に隠れるようにしていたのだ。

 

だが父は、私をよく見えるようにとおじさんの前に無理やり引きずり出し押しやった。急に母から離された私は所在なく、恥ずかしくて、左手の親指を口にくわえて足をもじもじさせていたが、おじさんはそんな私を嬉しそうに目を細めて見ているのだった。

 

姉たちは、成長すると急に花が開くように美しくなり、それぞれの雇い主のところへ引き取られていった。

雇い主の下で彼女たちが何をしているのかは分からない。

どういう生活をして、何を考えているのかも。

 

ただ時折、里帰りをしてくる姉たちが、見るも無残な様子で送られてくるのが子供心にも悲しかった。彼女らは皆一様に疲れ切っており、体のあちこちも剥げかけて、痛々しかった。

あれほど美しく輝いていた姉たちがこんなに哀れな姿になるなんて……、雇い主は一体どういう扱いをしているのだろうか。私は秘かに憤っていた。

 

帰って来た姉の一人が、奥まった部屋でひっそりと涙を流しているのを私は見たことがある。彼女は大人しい性格で、愚痴一つこぼすこともなかったが、その生活がどんなものかは絶対に語らなかった。

 

けれど私が見ているのに気がつくと、こちらに向かって手招きした。私がおずおず近づくと姉は私を抱きしめて、こう言ったのだ。

 

「マミちゃん、あなただけは……、あなただけは……幸せになってね」

 

それを聞くと私はその場に動けなくなってしまった。

姉の言う「幸せ」とは何の事なのだろうと思ったのだ。

姉は幸せではないのだろうか。私は急に怖気づいた。

 

そもそも幸せになってと言われても、私たちに意志などあるわけはないのに。

生まれ落ちるとともに聞こえてくる騒音の中で暮らし、色のない無機質な部屋。

 

いつまで経っても子作りをやめない両親に、少しでも勤め先の主に気に入られようと、美しさばかりを競い合う姉妹たち。

 

そんな中で育った私には、子どもらしい夢や希望など何も見いだせなかった。

この先どうやって生きていけばいいのか、皆目見当もつかなかったのだ。

 

そんな私は、一体何をして暮らせばよいのだろうか……。

けれども私は人知れず待っていたのだ。

この場所からいつか私を連れ出してくれる誰かを、何かを――。

私をここから救い出してくれる唯一の人を――。

 

だけど、それがおじさんなのかはよく分からなかった。

本当におじさんだけが私を愛してくれるのか、自分でも分からなかったし、実のところそれを心から望んでいるのかも、私には判断がつかなかった。

 

姉は体の傷が癒えると、再び美しい化粧を施され、雇用主の下へと帰って行った。

だが、どうしたことか、うつむき加減な姉の顔に、少しはにかんだような微笑みが一瞬浮かんだことを、私は見逃さなかった。

 

雇い主にきっとひどい目に遭わされているに違いない姉が、帰り際に見せたあの華やいだ笑みの意味が、あの頃の私には理解できずに、しばらく脳裏から離れなかった。

 

 

ある日、すぐ上の姉が貰われていった。

その日はちょうど暑い日で、突如玄関に現われたお腹の突き出た中年男が、顔から流れ落ちる大量の汗をフーフー言いながらぬぐっていた。

 

拭くたびに赤ら顔の額には薄い頭髪がパラパラとかかり、彼の脂性の顔がいっそう醜くテラテラと光った。

 

姉はそれを見ると血相を変え傍らにいた父に、自分をどこにもやらないでくれと懇願した。しかし父は黙って首を横に振るのみだった。

 

それを見るなり、「いやーッ!!」と叫んだ姉は、必死の抵抗を試みた。

 

雇い主の掴んだ手を振りはらおうとして暴れたが、怒声とともに二、三発頬を張られただけだった。

姉はその場に泣き崩れたが、男は無理やり彼女を引っ立てると、そのままずるずると乱暴に引きずって行った。

 

二人の姿が通りの向こうに消え去るまで見送っていた父は、いつまでもぐずぐずと泣き喚く姉の後ろ姿を見ながらため息をついた。

 

「女は馬鹿な方がいい」

 

私は驚いて父の顔を見上げた。

父がそんなことを言うなんて、思いも寄らなかったからだ。

 

普段の父は穏やかで優しく、子どもたちに深い愛情を示す人なのに……。

 

それなのに、今の言い方はまるで、私たち子どもの将来なんて知ったことかいう冷たい響きにも聞こえた。

 

娘たちを突き放すような、何の感情もこもってはいないような、そんな気さえした。

そして私の方を振り返ると、

 

「女は従順で、何も言わず、ただ黙って微笑んでさえいればいいんだ」と言った。

 

私は返答に困った。

 

「そうすれば可愛がってもらえるから」父はニコリともせずにそう真顔で言うのだった。

 

姉が屠殺場に引き出される豚のように、キーキーと不快な声を立てながら消えていくのを、私は震えながらいつまでも見ていた。そうして次は自分の番だと、うすうす感じていた。

 

 

それから間もなくして、それはやってきた。

学校から帰って来ると、父が私にこう言ったのだ。

「これからおじさんが迎えにくるから用意しておくように」と。

 

おじさんが来る――。

 

その言葉の意味を理解したとたん、私の心臓は跳ね上がった。

そして嵐に見舞われた小舟のように、激しく波打ちはじめたのだ。

 

どうしよう……、おじさんが来る。私を連れに――。

どうしよう、どうしよう……。

 

私は半ばパニックになりながら当座必要な物だけをランドセルに詰め出した。

主に着替えや教科書類で――、あとは、えーっと……何だっけ? 

 

指がこわばり思うように動かない。

気が動転していて今にも泣きそうだった。

 

おじさんが私を引き取りに来るのは、私が生まれる前からの約束だったから、だから仕方のないことなんだから……。私は自分で自分を納得させようとした。

 

それに、そもそも私は、おじさんのものなんだから……。そうと知ってはいても、そのショックは計り知れなかった。

 

大体、おじさんのものって何? なんだよ、それ……と、ぼんやりした頭で考えた。

どうして私が、おじさんのものなのさ。私はお父さんとお母さんの子どもじゃないか!? 私が気もそぞろで何も手につかない様子を見て、母は気の毒そうに、

 

「マミちゃん、大丈夫よ。おじさんは優しい人だから、マミちゃんの事もきっと大事にしてくれるわ」と努めて明るく言うのだった。

 

「は、はい……」

 

切れ切れの声で私は返事をした。ただそれだけ言うのが精一杯だった。

 

家には私の後にも、まだ幼い妹たちがたくさん生まれていた。

子ども部屋は手狭で、実のところ私には居場所などなかったのだ。

 

だから、私も姉たちのように、そろそろ家を出なければならない時期だったのだ。

 

そうしているうちに、夜になった。

 

門の方から砂利道を車のタイヤがゆっくりと踏みしめる音が聞こえてきた。

玄関のガラス戸にヘッドライトが反射して、部屋の中を眩しく照らし出す。おじさんが到着したのだ。

 

私は覚悟を決めて、両親の前にきちんと正座をすると、

「お父さん、お母さん、今日まで育ててくれて有難うございました」と深々と頭を下げた。

 

見ると、父も母も涙ぐみ「うんうん」とうなずいていた。そうして、

「マミちゃんも体に気をつけて頑張るのよ」と励ましてくれた。

 

「どんなに酷い事をされても我慢して、すべてをおじさんにまかせるのよ。くれぐれも機嫌を損ねないようにしてね。そしておじさんにいっぱい可愛がってもらうのよ」

 

どんな酷い事も――? 

 

私はギクリとして、思わず母の顔を見た。その真意を確かめたかったけれど聞けなかった。聞いても仕方のない気がした。

 

「おじさんにはうんと優しくな。そうすれば必ずお前を大事にしてくれるから」と横から父も口をはさんだ。

 

私は小さく返事をして下を向いた。鼻の奥がツンとして涙が溢れそうになるが、我慢した。

 

おじさんは玄関で待っていた。私の姿を見るとホッとしたように顔がほころんだ。

「じゃ、行こうか」

私は返事をせずに、顔をこわばらせたまま車に乗り込んだ。

 

運転席におじさんが座ると、車はゆっくり動き出した。徐々に遠ざかる建物を、私はバックシートから身を乗り出しながらじっと見つめていた。

 

私の家は工場だった。だから夜目にも四角いプレハブの建物が、ぼおっと浮かび上がるのが見えた。大きな煙突からは灰色の煙が立ちのぼっている。

 

それを見ながら私は心の中でつぶやいた。

 

さようなら、お父さん、お母さん。同じ顔の姉妹たち――。

私はおじさんといっしょに行きます。おじさんの家の子どもになります。そうして幸せになります。

 

最後の〝幸せ〟という言葉に、つっかえていた涙がどっと溢れ出した。

そして、幸せじゃないのに、ちっとも幸せなんかじゃないのに――と思いながら、ぎゅっと唇を噛みしめるのだった。

 

私は親から捨てられたんだ――、売られたんだ――という感情が、あとからあとから、湧いてきて止まらなくなってしまった。

 

いつまでも私が泣いているのを、おじさんはバックミラー越しに覗きながら、何も言わなかった。

 

 

つづく