トナリのサイコパス

どこにでもいるヤバイ奴。そうあなたの隣にも―。さて、今宵あなたの下へ訪れるサイコパスは―?

パモン堂の作品はこちらから⇨

www.amazon.co.jp

突然夫が変わった 2

つづき

 

それは、突然始まった。

 

深夜、何かが当る音がして、ナナコは目が覚めた。

 

ドシーンとそれは天井を揺らした。驚いて飛び起きると、部屋の入り口付近に布団を敷いて寝ていたリョーヘイが、天井に向けて、ツトムの玩具のゴムボールを投げつけている姿が目に飛び込んできたのだ。

 

天板に跳ね返ったボールは正確に、仰向けに寝ているリョーヘイの手に戻って来、リョーヘイは再びそれを天井へと投げていた。その繰り返しだった。

 

ドシーン、ドシーン―

 

その度に、天井は太鼓のように大きな音を立てた。

 

「何しているのッ!」

 

慌ててナナコはリョーヘイの手に飛びついた。急いでボールを奪い取ったナナコは、リョーヘイの顔を見て驚いた。

 

その目には何も映ってはいなかった。ただ濁ったように、色がなかった。

 

「―!」

 

そしてその無表情の顔がゆっくりこちらに向くと、ナナコの手からボールをもぎ取り、再び天井に向かって投げ始めたのだ。

 

ナナコは声にならない叫び声をあげた。

 

止めてーッ、止めてよッ。

 

そうして、リョーヘイの身体にのし掛かった。自分の体重で夫を制しようとしたのだ。

だが、リョーヘイはナナコに手足の動きを押さえつけられると、今度は突如、叫び出したのだ。

 

「バカヤローッ! 俺を誰だと思っているんだッ! ふざけんな、テメエ、このヤロー! ぶっ殺すぞッ」

 

「―!!」

 

あまりのことにナナコは青くなってしまった。こんなリョーヘイを今まで見たことがなかった。ナナコの唇はひとりでにわなわなと震え出していた。

 

それはナナコにと言うよりも、明らかに二階の住人に向かって発せられた言葉だったが、時間はもうすでに深夜を回っており、二階の住人だって寝入っている時間帯だった。それが証拠に物音一つしないではないか。

 

どうか階上の人が起きてきませんように―ナナコは祈るような気持ちで、リョーヘイの口を押さえた。

 

しばらくもがいていたリョーヘイだったが、やがて力尽きたのか、急に静かになった。

ナナコはホッとして全身の力を抜いた。身体のあちこちから湯気が出てくるようだった。しばらく見ていると、リョーヘイは目を瞑り寝入ったようだった。口を軽く開け、鼾が聞こえ始めた。

 

「……」

 

ようやくリョーヘイの身体から身を起こしたナナコは、二人の間に寝ていたツトムを跨ぐと、そのまま自分の布団へと転がりこんだ。

 

もうヘトヘトで力が出なかった。自分の布団の中で、小さなため息をつくと、今起きたことは何なのか、と頭をめぐらし始めた。一体何が起きているのか、ナナコにはさっぱり見当もつかなかった。

 

不安な面持ちで布団の中にじっとしていると、隣の掛け布団がもぞもぞと動き出し、そしてもう我慢ならないという風に、ツトムの顔がヒョコッと現れた。

 

「ねぇ、お母さん、何が起きたの?」

 

「……」

 

その問いに答うるべきものを、ナナコは持ち合わせていなかった。

 

何が起きたかって―?

 

そんなのこっちが聞きたいよッ、そう叫び出したい気分だった。

 

「分からない……。でも、もう大丈夫だから、早く寝なさい」

 

そう言うと、ナナコは、ツトムの頭を撫でた。そうして、まだ何か言いたそうにしているツトムの頭から布団を被せると、「大丈夫だから、大丈夫」そう言いながら、布団の上からトントンと背中を叩いた。

 

それはまるで自分自身に言い聞かせているようだった。

 

大丈夫、大丈夫、きっと調子が悪かっただけだわ。今夜のことは、何かの間違いだわ。明日になれば、きっと―。

 

胸に渦巻く不安をかき消すように、ナナコはそういい続けた。

 

 

「にゃん太を探して」より

 

 

 

☆それでは今日もよい一日を。

 

 

嫁の家出 (実業之日本社文庫)

嫁の家出 (実業之日本社文庫)

  • 作者:中得 一美
  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 文庫