ナナコは、ツトムが小学校へ入学すると同時に、駅前の書店でパート勤めをするようになった。子供が学校へ行くようになると、ナナコには何もすることがなくなったからだ。
最初は楽しかった十円二十円をみみっちく節約する主婦の生活にも飽きてきた。もともと余裕のある暮らしではなかったし、それに、自分のお小遣いくらいは、自分で稼ぎたかったからだ。
朝の十時から夕方の四時まで、ナナコは本屋の店頭に立った。時給は八五〇円だった。いつかは、アパートを出て、一戸建てを買うのが夢だった。その為にナナコは週末になると、新聞広告の不動産屋のチラシを見ては、いろいろと物件を探し回るようになっていた。
近所の同じように子育てをした仲の良かった主婦たちは、次々とマンションやら戸建てやらを購入しては出て行った。引っ越しの挨拶に来た朋輩達の、その晴れやかな顔をナナコはいつまでも忘れることが出来なかった。
そして、いつの間にかこのアパートの古株は、ナナコたち家族と、庄田さんだけになってしまった。
二階の新住人の足音に悩まされるようになった頃、ナナコは以前にもまして、熱心に物件を見て回るようになっていた。常に頭上から降り注いでくる足音にうんざりしていた。
もっと静かな場所に引っ越したい、人の気配を感じなくてもいい場所に住みたい、もっとのびのびと生きたい—それがナナコの願いだったのだ。
だが夫のリョーヘイは、そんなナナコに侮蔑的な視線を投げかけるだけで、一度も同行した事はなかった。
「家? はあ? ムリだよ、買えないって。大体、そんな安い家があるはずないよ」
と言うのが口癖だった。
リョーヘイは、週末になると、昼間っから酒を飲み一日中眠るようになっていた。狭いアパートの一部屋が占領されるため、ツトムは友達を連れてくることも出来なかった。
ツトムのためにも、この息苦しいアパートから一刻も早く出て行きたいと、ナナコは切に願っていたのだった。
つづく